稽古の覚書

光岡英稔先生の剣術のG.P.C.で短歌を詠む機会があった。

短歌を詠むにあたって「水月」を題材に選んだ時に一番初めにみえたのは内景だった。

そこから趣き、心、気持ち、風景、情緒がみえてくるが、それは自分自身の経験だけではなく、その言葉の経験も関わった自他から生じたことであった。

故に一つの風景から様々なことが見え隠れし、五七五七七の言葉に表すにも微妙な言葉の差異が生じて奥行きのある過程となった。

巧拙で言えば間違いなく拙い歌になるが、この内面的な経験の過程があることで、その歌を吟じた時の現象にも奥行きが生じてきた。

おそらくは気と心の間でこれらは生じている。


閑かなる 湖面に映る 水月の

さしこむ光 かすかなるかな


空覆う 激しき雨と 電光に

けたたましき 夏の一日(いちじつ)


もしもここから離れて、それらしい言葉を並べ、状況を描写し、感情や思い入れを込めても五七五七七であるなりの経験は生じるだろうが、内包される過程と経験の奥行きには浅さを感じる(知識や概念の踏襲・内景の不鮮明さ・情緒の欠如)。