【再掲】対人での練習についての考察

今春(2017年) の韓氏意拳 創始人 韓競辰師による来日講習会の中級講習会では参加者が2名1組で稽古を行う機会がありました。

修身八勢の攬扎衣で勁の説明をする流れで行われたのは、技撃樁で構えて待つ相手に各種の表現により勁を表す、という形式でした。

この対人稽古をした方は多かれ少なかれ対人で感じるギャップや問題点があったようです。

この点をまとめると2つの段階があります。

1.注目が相手との関係性にいって自分を見失う(初歩的な問題)
2.稽古の中で培われる感覚、形状を応用する(次の問題)

初歩的な問題では

「つい相手になにかしようとしてしまう」
「稽古でやってきたことと自分の表現がどうも噛み合わない」

といった点がみえます。

これらは目を向けるところが行為、関係、結果にいき、状態を失うことで起きます。

この問題への対策として、稽古の中で培われる感覚、形状を応用するというアプローチを採用することが多いです。
「一人で練った功を対人でも同じように運用する」「対人で出た問題を一人稽古で解決して対人で活かす」といった方法です。

確かに稽古の中で培われる感覚、形状を応用するのは一定の効果があります。
しかしこの取り組みは対称に対する技術行為となりやすく、「做自己」という提示、「技術行為ではなく、自然本能の運動を探求する」という目的に対しては十分とは言えません。

ここで初めて、一人稽古とは?、式を用いて稽古をすることとは?、と鑑みる必要があります。

対人を見た時の大きな問題は相手との癒着です。
他と関係を結び、捕らわれて、自らと癒着させることで後れを取る、膠着することとなります。
しかし他との癒着は相手がいる場合に限らず、式との癒着、感覚との癒着、自の中の他との癒着など層が変わって起きてきます。

一人稽古の際には式、体系、教えといった他、体、命といった他を通じて自らを省みますが、そこでも同じく他と癒着し、混在した状態になることがあります。
ここで深く自ら省みることが試されます。