12月16日のブログ

見たいように見て、聞きたいように聞けば一定の世界に留まることとなる。

これを普遍性、不変性と錯誤するのは、自身が普遍性、不変性の存在であると言っているに等しい。

安易に物事を同一視している限りは堂々巡りから抜けることは出来ない。


同様に安直な対比論は事物の反対に「無」「非」「不」「未」を置くが、AとAでないものだけでは過程と因果はみえない。


年月を幾らかけても、どれだけ努力を重ねても、その世界が破られない限りは何も起きていないのと大差はない。