「土台がしっかりしていないときちんとした家は建たない」などと喩えられるが、基礎がなければ応用、展開は生じない。
見当違いな稽古は論外として、流儀に適した稽古を進める中で基礎は養われていくが、ちょっとの経験と知識で基礎が出来たと勘違いするケース、少しやって出来る=基礎を身に付けたと勘違いするケースが多く見られる。
基礎は「知っている」では役に立たないし、「少しできる」では応用に届かない。
この段階の人の基礎は平面的で奥行きもなく、一言でいうと浅い。
自分の経験では稽古、経験を重ねていく中で基礎の多層化が生じており、厳密さ、シビアさ、深度はどんどん増していく。
そのため基礎とされる内容の中でも観えていない、出来ていない、わかっていないことは常にある。
例えば同じ教えに対しても
「末梢から動く(という学理を知っている)」
「末梢から動く(という経験をしたことがある)」
「末梢から動く(という体認があった)」
では全く異なる層にあるし、
「末梢から動く(という行為、コンセプトを実行する)」
では的外れになる。
新奇な観方やたくさんの稽古法に目を向けていく前にやることがあるのではないだろうか。