私に習っている人と話していて感じることだが、みな正しさに準拠した判断基準を置こうとする。
例えば私が提示した内容と異なる事を別の人が教えると「どっちが正しいのか」と考える。
自分の感じた自然性、経験をみれば2つの異なる自然性があることに気づくはずだが、なぜか一つに限定しようとする。
これは自然が唯一で絶対であるという観念にも似ているが、唯一性、不変性、普遍性を求める心がそこにある。
自然性が唯一、不変、普遍であるならば春の自然性が夏秋冬にもなければならないず、全てが春の自然性に帰結し、春のみが自然となる。
滑稽だが唯一、不変、普遍を求めるのはこれに等しい。
過程、変化の中で春、夏、秋、冬それぞれの自然性があり、移り変わっていく。
去年の春と今年の春は異なる趣があり、その時々の自然性を現している。
人も同じく変わっていくし、流儀、流派も変わっていく。
その変化の中にそれまでと異なる自然性が生じてくるのは自然な巡行としてある。