逃げと向き合うのは「頑張ればできる」程度の根深さではない。
私たちは逃げの衝動を自然に感じる感性があって、自覚のないところで逃げた弱さが身体に沈殿していっている。
だからなまじの希望や期待を以て立ち向かっても、それもまた逃げの延長でしかない。
等身大の自分といえばその像に逃げ、本質といえば体現できもしない論に逃げる。
そのためどこで逃げが生じ、どうやって逃げようとし、何が逃げになるのかよく自省していく稽古が必要なってくる。
逃げず(逃げられず)、自力で足掻いてもどうしようもなく、希望、期待が抜けて絶望した時に、はじめて自らに省みる機会は訪れる。
逃げたい衝動を観て逃げたい場所、方向、身体を認めて消していく。
逃げ場がなく絶望的だからこそ真摯に向き合い観えてくることがある。
ここを次は基礎に稽古を進めていく。