稽古、流儀の学習に心を向ける

今まで韓氏意拳を学びたい、稽古したいという気持ちがある人を受け付けてきたが、その中でも稀に私に依存しようとしたり、依存心を持ち始めた人は須く来なく(来れなく)なり、縁もなくなった。


稽古、流儀の学習に向かうはずの心や気持ちがズレて、指導する者に過剰に頼って自分ですべきことを疎かにしたり、教わっている事に安心感、満足感を覚えるために来るのでは私にとっても当人にとっても益はない。


ことあるごとに「自分のこととして行う、稽古する」と言うことがあるが、自分の進度、深度で稽古していって自立して言ってほしいという気持ちがある。