流派と流儀

先日の韓氏意拳 内田教室で伝統拳の名残を残したまま韓氏意拳の稽古をした時に生じる齟齬について少し取り上げた。

形意拳、意拳、韓氏意拳は同じ系譜にあるが各流儀の身体観、集注観は大きく異なるため、例えば形意拳の名残を残して韓氏意拳の式を試みると上手くいかない。

この上手くいかなさ、齟齬は感覚レベルには現れないので無視して行うことも出来るのだが手把手や外力に受けた時に齟齬が認識出来るレベルまで出てきて上手くいかなさが自覚できる。 

仮に形意拳、意拳、韓氏意拳の変遷を経験的に知って身体観、集注観の違いを表せるのであればこうした齟齬が生じることもないのであろう。
しかし経験不足で曖昧なうちは無自覚に名残を残した齟齬、混同が起きてしまうので流儀を絞って稽古をし、其々の特徴を経験的に理解して使い分けが出来るようにするところから始める必要がある。

先に述べた通り伝統拳と韓氏意拳の繋がりからみた抽徹歩崩拳のように伝統拳より変遷した内容が現行の流儀に内蔵されていることもあり、上手く使い分けられれば見直し~観直しのきっかけにもなる。