この層を鑑みずに一括りに「出来てない」と定めると稽古に還元するのは難しい。
また「出来ない=悪いこと」の様な精神性が私達にはあるが、稽古は出来ないこと込みで行っていくことなのでそこにある種の罪悪感を覚えて「私は出来ていない」と漫然と決めるのは自分を省みることにならない。
「出来ていない」ことから自分を省みて「何が・何処が・どうして出来ていないのか」と見直す。
ここが明らかになってくると稽古の助けとなる。
ひょっとしたら沢山の出来ていないことが明らかになるかも知れないが、それだけ稽古のしようもあるということなのでその方が喜ばしい。