「出来ていない」の層と見直し

「出来ていない」という言をよく見聞きするのだが、全く出来てないのか、知らないのか、解っていないのか、間違っていたのか、方向は合っていたが足りなかったのか、いい線をいっていたが何処かで外したのか、などなど出来てないにも層がある。

この層を鑑みずに一括りに「出来てない」と定めると稽古に還元するのは難しい。
また「出来ない=悪いこと」の様な精神性が私達にはあるが、稽古は出来ないこと込みで行っていくことなのでそこにある種の罪悪感を覚えて「私は出来ていない」と漫然と決めるのは自分を省みることにならない。

「出来ていない」ことから自分を省みて「何が・何処が・どうして出来ていないのか」と見直す。
ここが明らかになってくると稽古の助けとなる。
ひょっとしたら沢山の出来ていないことが明らかになるかも知れないが、それだけ稽古のしようもあるということなのでその方が喜ばしい。