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敬意

武術を学び、稽古していく上で流儀への敬意、創始者、傳人などの先達への敬意、自分を指導する師への敬意、指導者ならば学習者への敬意とそれぞれに抱く事が欠かせない。 

ここでの敬意は無条件の「尊敬しています」「信じています」という盲信、軽薄な思い入れではなく、必ず行いがある。

自分が学ぶ側であれば自らが出来る最大、最深の試みで臨み、稽古に励むこと。
師伝を一人でもよく稽古し、身につけ、足りぬところは必ず取り組むことなどは一つの敬意の形。

指導する側ならば先人の教えを扱う時に伝えることに熱意や慎重さ抱くのは敬意の表れ。

また指導者が学びに来る人達に流儀の教え、師伝、私の経験、研究を通じた指導を誠意を持って行なっていくのも学習者への敬意である。

これらはある種の恩や縁に対する感謝でもあるし、武術、流儀に関わる以上は真剣に取り組まなければ、その歴史に見合うことも出来ないので当然のことと言える。
このように捉え、伝えていることなので、相応の敬意がなければ師弟関係や教傳、傳授は成り立たない。

習う側に敬意が欠けるのであれば流儀を身につけていくことは不可能か、極めて質の低い紛い物を持って帰るだけになる。
指導する側に敬意がなければ、流儀、傳人などに不義理をしたり、学びに来る人に悪影響を与えることになるし、結局は自分自身も損なっていく。

堅苦しくするつもりも、強要することもないが、ここが潜在的に緩いか、感性が全くないと、何を学んでもものにならないし、何を教えてもどうしようもない。

見直し中

兵器の扱いから拳を見直す中で、兵器(道具)という対象から感じることと身体で感じることの差異や起きている現象の違いが出てきた。

式が成り立つ際の兵器と身体の関係を詳細に観ていくと、

対象から齎される感覚(重さ、質感)
対象から齎された感覚に反応した感覚(力感、質感)
対象を通じて身体へ集注することで生じること(有感覚、身体の感覚)
対象を通じた自省・体会より生じたこと(無感覚)

と数種類の層がある(実際にはもっと沢山あるが割愛)。

ここから形、心、意や規範、学理なども見直しできるだろう。

稽古、研究あるのみ。